出会いを求めて
私が、アメリカでの制作活動を通して気付いた事は、作品におけるORIGINALITY(個性)の重要性でした。帰国して、これまでの絵の具や筆やカンヴァスを捨て、代わりに布や紙を「火」で燃やす手法を始めました。私は、非常に触覚的な人間なので、触りたくなるようなマチエールや素材の作品に惹かれます。
私の作品制作は、「布地や紙を火で燃やしそれを水で消す」あるいは逆に、「水を最初にかけた後に火で燃やす」この作業の繰り返しです。その繰り返しの中で、偉大な力の存在を感じる瞬間があります。
私は、「火」と「水」は対極に位置する物質であり、ともに大自然の生命力の根源をなすものであると思います。「火」は浄火し私達の心を高揚させ、「水」は心を鎮静させる力があります。この根源力は、時に、お互い激しくぶつかり合うこともあります。「神(かみ)」という言葉の語源は、火(か)・水(み)である、と聞いた事があります。確かに、日本の神事は「火」と「水」を使う祭礼が多い事で、納得がいきます。
私が作品を制作する目的は、自分が本当に「見たいものを確かめる」という行為そのものです。制作のプロセスの中で、思いがけない偶然の出会いの中に潜む美を探しています。それは、一瞬の出来事なので、寸時に判断し心惹かれる方向へと素直に、そして自由に委ねます。この予測しがたい瞬時の美の偶然性に出会わなければ、私の制作は、単に作品を完成させるだけの作業でしかありません。
岩田 恒介
現代と原初との交感
岩田氏の作品は、ろうそくの火で焼いた布片を、下見張りのように幾重にも重ねたもので構成されていて、焼かれて波状になった布片は、光の強さと角度によって様々な姿を見せてくれます。張りつけられた布の浮かし具合の微妙さが影を誘い、様々な印象を決定づけています。
我国には多くの優れた遺跡があり、そこに見られる石材の持つ大小の凸凹やなだらかな起伏は、強い太陽光線の醸しだす形象と刻線の力強さとなり、刻々と表情が変化します。その微妙な変化は、石の表面が平たくなくデリケートな起伏があるために起こるものでありましょう。我々の祖先が石を土の延長としてとらえ、また布を人間の皮膚の延長としてとらえた感性が、そこで見られる形象の中にいきています。
岩田氏の仕事は、極めて現代的な課題を引き受けながら、原初的とも言える制作のプロセスを通して、私達の遠い日の記憶をよみがえらせてくれます。また、布(と影)という非常にデリケートな素材を扱いながらも、情緒に流されていないのは、基本的な形態への関心と、繰り返しの多様によるものであると指摘しておきたいと思います。氏の作品から受けるインパクトは、制作におけるストレートな繰り返しの作業によるものだというのも特質と言えるでしょう。
変容し再生された岩田氏の作品は、形象が明快であればあるほど、布の息づかいが強く伝わってくるのです。
メキシコ国立近代美術館長 ヘレン・エスコベド